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アーカイブ|金城ヤスクニヒストリー ヤスクニが”政治家”になるまで ~シラホ秘書時代~

こんにちは!金城ヤスクニです。

金城ヤスクニヒストリー第3弾シラホ秘書時代をお届け致します。

  

■大学入学から卒業、就職。そして結婚。充実した日々を過ごす。

やっとの思いで沖縄国際大学に入学ができ、今までの遅れを取り戻したい、との思いから大学の勉強、

そして資格取得のための勉強に、がむしゃらに挑戦しました。

学生時代では、目標としていた「日商簿記1級」の検定試験に合格し、

そのあと、大手民間企業の就職も勝ち取ることができました!

結婚式 001▲妻との結婚写真

 

その後、結婚し、子宝にも恵まれ仕事に家庭にと、充実した日々を送っていました。

 

■シラホさんとの出会いで、「秘書」に転職!

会社に勤めて忙しくしていたある日、当時衆議院議員のシラホ台一さんとお会いすることがあり、

そのきっかけで、務めていた民間企業から転職 し、衆議院議員のシラホ台一さんの秘書をさせて頂く機会を頂きました。

秘書時代 001シラホと中国へ、日中国交30周年_2▲元衆議院議員シラホ台一さんと

 

秘書時代には、365日、ほぼ付きっ切りでシラホさんと共に行動させて頂きました。

公私共に、様々な面でご指導を頂き、お世話になりながら、国会事務所にも勤務させて頂く貴重な機会にも恵まれました。

この経験ができたからこそ、今の自分があります。

 

■人生の試練の転機

しかし、そんな私にも、5 年後とうとう人生の試練の転機がやってきました。

平成17年の夏、2歳になる次女(直美) が自閉症という発達障害を持っていることが判明したのです。

 

診断した医者からは

「これは病気と違って治るものではないので、一 生かけて娘さんの面倒を見ていく、という決意をしなければなりませんよ」と。

 

「一生治らない」という言葉に愕然としました。

 

その後さらに追い打ちをかけるように、同年9月11日に行われた衆議院選挙で白保さんが惜敗。

 

落選により失業になりました。

 

突然の苦難でした。

 

当時は、妻も2年前に父親を亡くし、精神的に憔悴した母親や弟の対応で一杯一杯の状態でした。

私はといえば日中は就職活動でハローワークに通い、夜は次女の子守りに追われました。

  

肝心の仕事の方は無事元の職場に復職しましたが、給料は半減し借金をしながら何とか食いつなぐ日々でした。

しかし、復職して 直後に父が住んでいた実家が火事にあい、まもなく心臓を悪くしていた父が心臓バイパス手術をするなど、

私や実家にもいろんな苦しいことが起こった時期でした。

家に帰ると、毎晩夜中に娘が泣き叫び、妻とともに暴れる娘をあやし、睡眠不足になりながら会社に出勤するという毎日でした。

 

つづく